東京都西部に位置する国分寺市は住宅地でありながら湧水や緑地が残り、農業も盛んな地域です。
そんな国分寺市で唯一の茶農家「松本園製茶工場」では、自社の製茶工場を構え、「国分寺茶(煎茶)」の生産から加工、販売までを一貫して行っています。
園主を務めるのは2代目の松本信一さんです。

国分寺茶を生み出す唯一の生産者
「松本園製茶工場」が創業したのは昭和30年代。創業時から、お茶の栽培から仕上げ加工までを行い、自園のお茶だけでなく、地域の農家が栽培したお茶の加工も一手に引き受けていたそうです。

「昔は農家が畑の塀代わりにお茶の木を植えていたんです。多摩地区には、そのようにして自家用にお茶を栽培する農家が多かったので、松本園では近隣の農家から持ち込まれた茶葉の加工もやっていたんです。国分寺だけでなく、狛江、立川くらいまで、毎年400軒分くらいやりましたよ。当時は本当に忙しくて一昼夜寝ないでお茶を仕上げていましたね」(松本さん)

松本信一さんはお茶づくり歴50年以上のベテラン。
18歳から静岡でお茶づくりを専門に学んだあとに家業を継ぎました。
松本さんが家に入った頃には近隣農家から茶葉の仕上げ加工の依頼が減っていたため、「松本園製茶工場」では茶葉の加工だけでなく、小売りにも力を入れるようになりました。
「20代のときは、トラックにお茶を積んでいろいろなところに売りに行っていました。でも静岡や京都のように名が通ってない産地のお茶はなかなか売れなくて。一袋しか売れない日もありましたよ。そんな状況でも続け、どうやったら売れるだろうと考えていたある日、国分寺で作っている自分たちのお茶を”国分寺茶”として売ったらいいんじゃないかと思いついたんです」(松本さん)
国分寺茶一本で勝負する
松本さんが「国分寺茶」と名付けたのは1990年代。
それまでは「松本園製茶工場」で製造するお茶は、近隣地域で作られるお茶と同様に「狭山茶」と呼んでいましたが、「狭山茶」は埼玉県の入間市や狭山市で生産されているお茶だったため、お客さんに埼玉で作っているお茶と誤解されることもあったそうです。
そこで松本さんは国分寺という産地名を全面に打ち出し、国分寺市内の自社工場で仕上げ加工を行うお茶を「国分寺茶」と呼んで販売を始めたのです。
「国分寺茶」として売り始めると、徐々に地域の人々や飲食店などから注文が増加。東京だけでなく、他県からの注文も入り、メディアでも注目を集めるようになり、「国分寺茶」の名が広まっていきました。

茶葉の加工時に蒸し時間を長くし、強めの焙煎が特徴である「狭山茶」に対し、「国分寺茶」は蒸し時間は短く、焙煎を軽くすることで茶葉本来の爽やかな香りや甘みを引き出しています。
水色(お茶の色)は鮮やかな緑で、まろやかさと飲んだ後の長い余韻が魅力です。

品種は「やぶきた」や「さやまかおり」など数種類をブレンドしています。
茶農家でありながらも、お茶のブレンドである「合組」の技術をもっている松本さんだからこそ生み出せる、唯一の味わいです。

製茶工場の隣には販売店があります。

店内では、味わいと価格が異なる7種類の「国分寺茶」の煎茶を販売。
好みや用途に合わせて選ぶことができます。

「お茶屋さんっていうと梅干しやお菓子など、いろいろな商品を置いたりするけど、うちは日本茶だけ。かつ高級路線にこだわっていて、安い価格帯のお茶や他産地のお茶は置かない。それで20年以上やってきました」と力強く話してくれた松本さん。

地元の人々に親しまれるお茶屋
2018年に改装したという上品な雰囲気が漂う店内。喫茶店と間違われることも多いそう。
店内には奥様の美津子さんが習っているというピアノが置かれています。
定期的に音楽家によるピアノのコンサートも開かれ、地元の人々が訪れます。

「コンサートを開くと、それがきっかけで新しいお客さんがお店に来てくれることがあります。今の世の中、お茶を売るだけじゃつまらない。せっかくならおもしろいことをやろうって思っています」と松本さん。

「松本園製茶工場」には、国分寺市内の小学校の生徒たちがお茶づくりの現場が学べる貴重な場所として毎年見学に訪れています。
松本さんが生徒たちにお茶づくりのレクチャーを行い、小学校でお茶の淹れ方を教えることもあるそうです。

地域の人々に愛される「松本園製茶工場」。
ぜひ訪ねてみてください。
取材・文・写真=芦谷日菜乃
【店舗情報】
住所/東京都国分寺市東戸倉1-6-3
アクセス/西武国分寺線恋ヶ窪駅から徒歩6分
電話/042-321-1668
営業時間/9:30~18:30
定休日/日、祝日
HP/https://www.kokubunji-cha.com