日本にたった27名しかいない「茶師十段」が、東京・下北沢の小さなお店に二人もいる。
お茶好きの方の間では有名な話かもしれません。
「しもきた茶苑大山」は、全国茶審査技術競技大会 茶審査技術十段(通称:茶師十段)の資格を持つ兄の大山泰成さんと弟の拓朗さんが営む、50年以上の歴史をもつ老舗の日本茶専門店です。
今回話を伺ったのは、兄の泰成さん。確かな目利き力と革新的な姿勢で、一歩先をゆく日本茶の在り方を伝えてきました。
誰よりも日本茶の未来を真剣に考えるその姿は、今改めて注目すべき模範です。
老舗というのれんに縛られずに泰成さんが伝えたいこととは。
茶師十段による日本茶の実験室「しもきた茶苑大山」
明治時代には茶畑が広がっていたと言われるサブカルの聖地・下北沢。
「しもきた茶苑大山」は、1970年に創業して以来、2代にわたってこの地で日本茶のおいしさを届けてきました。2021年には街の再開発にともない移転。“Japanese Tea Lab”を新たなコンセプトに掲げ、再出発しました。

店内は茶葉を中心とする物販のエリアにテイクアウトでお茶が楽しめる「日本茶スタンド」が併設されています。

同店オリジナルのお茶や、各地から仕入れた上質なお茶が並ぶ店内。
知名度の高い産地から、ローカルな産地のお茶まで、大山さん独自の目線で取り揃えています。
「日本茶スタンド」では、スキマ時間に本格的な味が手軽に楽しめる「抹茶ラテ」などのドリンクを提供しています。

人気メニューの「スチームド抹茶」は、抹茶とミネラルウォーターだけを使い、ミルクスチーマーでスチーミングして作り上げるオリジナルドリンク。きめ細かなフォームと爽やかな味わいが特徴です。
夏場になると抹茶エスプーマをたっぷりかけた「かき氷」を求めて行列ができます。
茶師としてお茶の神様に恥じないことを
そもそも「茶師」とはどんな職業なのでしょう。
大山さんによれば、時代や地域によって茶師の立場は変わるのだと言います。

「茶師が身分や資格だった時代もありましたが、現代ではお茶の仕事に携わる方は川上から川下まで茶師と名乗れると思います。また静岡県では、手揉みの技術者のことを茶師ともいいます。いずれにしても、名乗るからにはお茶へのこだわりや時代感を持って、お茶の神様に恥ずかしくないようにやっていきたいですよね」
さまざまな立場の茶師がいるということは、それぞれ意識することも異なるはず。
大山さんは「流通業」の茶師であり、これまでの知識と経験からなる目利きを活かし、農家からお茶を仕入れ、消費者に安定的に届けるのが主な仕事です。
その過程では、農家の方へのリスペクトを欠かさない茶葉の仕入れや、お茶を買ってくれるお客さまに満足してもらえる価格設定など、総じて「喜びを生む」ことを意識した姿勢が大切だと語ります。
お茶の達人になるまでの生い立ち
お茶屋を営む父と、実家が茶問屋である母のもとに生まれた大山さん。小学生の頃から早々にお茶の審査技術大会に出るなど、お茶は生活の一部でした。
「原体験を一つあげるなら、幼い頃に飲んだ祖父のお茶です。母方の実家に泊まっていたとき、だいぶ朝寝坊をした日があったのですが、起きると祖父が火入れしたてのお茶をもってきて『飲め』というのです。そのお茶の味が今でも記憶に残っていて。渋いような甘いような……当時はおいしいとは思えなかったのに、忘れられないんです」

店頭で販売している『泰成』というお茶は、その思い出の味を再現したのだそう。
「弟の『拓朗』の方がよく売れているんですけどね」と笑う大山さん。

優しく落ち着きのある大山さんのお人柄は、まるで学校の先生のよう。実際、学生時代は社会科教員を目指していたといいます。
「でもその道は向いていませんでした。自分にはもうお茶しかない、と」
大学卒業後、お茶の修行のために4年間ほど地方へ行きます。
最初は新潟で日本茶販売店を営む老舗へ。「仕入れ先の茶農家と、お客さまに喜んでいただく」という小売業の茶師としての心構えを学びました。
その後は三重の茶問屋へ。60〜80キロに及ぶ茶箱を一人で運ぶなど体力的に厳しい業務についていくのがやっとのなか、必死にお茶の基本を学びました。

中でも印象的だったと話すのは拝見場(お茶の外観や味、香りを評価する「拝見」を行う場所)での出来事です。
「師匠に『今日、昼食にリンゴが出ていたよな。リンゴ食べたか?』と聞かれたので、『食べました』と言ったんです。そしたら『そうか。なら今日は帰れ。リンゴなんか食べたら、お茶の味がわかるわけないだろう』と……」
この言葉を大山さんはどう捉えたのでしょうか。
「リンゴがダメということ以上に、茶農家を敬う気持ちが足りてないことを指摘されたのだと思います。“拝見”は五感を研ぎ澄ませ、茶農家が丹精を込めてつくったお茶の繊細な魅力を感じとる必要があります。拝見の前の食事に気を使わないのは、味覚が整っていない状態で拝見に挑むこと。それは茶農家に失礼にあたるわけですよね。お茶は“拝見させていただく”ものなのだと、改めて実感しました」
こうした厳しくも充実した経験の数々が今に繋がっています。
茶師十段目前での挫折。そして起死回生
修行を終え、東京に戻って家業に入ると、一つの目標として「全国茶審査技術競技大会 茶審査技術十段」を目指すようになった大山さん。茶業界の歴史上、初めて十段を取得した茶師・前田文男さんと日本屈指の茶師・森田治秀さんの勇姿に憧れたからです。
大山さんが競技大会に初出場すると、5位入賞と四段を取得しました。
しかし、自分の実力に満足できず、その後も静岡県で開かれていた研修に何度も参加するなど研鑽を積みました。

最も苦しい時期は、九段から十段を目指していた時期だったといいます。
お茶を理屈ではなく動物的な感覚で捉えていたという大山さんは、一度「わからない」感覚に陥ると出口が見えなくなりました。
さらに拓朗さんが先に十段を取得したこと、十段を取得可能な年齢制限(45歳)が迫っていたことがさらなるプレッシャーに。
そんな大山さんを救ったのは、本屋で偶然手にとった書籍『サントリーの嗅覚』(著:片山修)と『調香師の手帖 香りの世界をさぐる』(著:中村 祥二)でした。

「香りや嗅覚の仕組みを知って、科学的に分析して見てくことの重要性に気づいたら、視界が開けました。サントリーのブレンダーの方は、たとえプールの中にウィスキーを一滴垂らしたとしても、その存在がわかるそうです。そんな方たちから学びを吸収すると、ぶれずに香りを捉えられるようになっていきました。あと、この方たちは茶師よりもきっとすごい人。上には上がいる!と元気をもらいましたね」
45歳を迎えた年、大山さんはついに「十段」へと昇格。九段取得から7年の月日が経過していました。
今や憧れられる側となった大山さん。茶師十段を目指す人に、こうアドバイスします。
「農家がどんな努力や工夫をしたから、お茶の外観や味、香りがこうなったのか。農家の努力を想像し、正当に評価できる人間になることこそ、審査大会の本質だと思います。十段を取得できなかったとしても素晴らしい人はたくさんいます。大切なのは、茶業界の発展に貢献する人材になるために、なにができるかです」
まだ見ぬ日本茶の可能性を広げるために
伝統的な日本茶の老舗という立場でありながらも、斬新な抹茶メニューで若い人たちも虜にする「しもきた茶苑大山」。その背景で、大山さんは常に日本茶の未来を考えていました。
「世の中の情勢がいろいろと変わる中で、茶農家がお茶を作り続けられるのか。私たちお茶屋が商売を続けられるのかという危機感が常にあります。立ち向かうためには、変わっていかなければなりません」

ミルクスチーマーを使って作る抹茶ドリンクは、急須や茶筅の使い方をマスターしなくてもおいしく提供できることを伝え、業界の垣根を超えた日本茶の需要に繋がれば……との想いから。
「日本茶の未来を想う」という意味では、大山さんが2007年の第1回目から審査員をつとめる「世界緑茶コンテスト」の存在も欠かせません。
質のよいものを作るだけではなく、「日本茶の明るい未来を予感させる」ものであるかどうか。「驚き」や「新規性」といったキーワードを軸に審査しており、大山さん自身も学ぶことが多いのだとか。
茶師十段が注目する、新しい日本茶のカタチ
これまで数多くのお茶に触れてきた大山さんが注目している商品があります。
そのひとつがボトリングティーです。
ボトリングティーとは、厳選した茶葉を使用し、特殊製法で抽出したお茶をボトル詰めした商品のこと。近年、様々なボトリングティーが登場し、飲食業界で注目を集めています。

「ボトリングティーは昔から着目していて、しもきた茶苑大山でも扱っています。急須に慣れてない外国人の方や、バーテンダーやソムリエの方に提供していただくなど、これからもっと広がる可能性があると思っています」
ボトリングティーに加え、大山さんが着目している商品がもうひとつあると言います。
「最近、一番注目しているのが『いちりんか』です。香りが素晴らしいんですよ。不自然さのない“本物の香り”。パウダーティーなので鮮度を保ちながら長期保存ができるのも魅力です。しもきた茶苑大山の店頭でも今後販売予定です」
「いちりんか(https://suntory.jp/ichirinka)」は、サントリーの研究者たちが、11年の歳月をかけて開発し、満を持して2024年末に発売したパウダーティーです。

サントリーが様々な商品開発で培ってきた蒸留などの技術を活用し、日本茶の繊細な香りを最大限にまで引き出した6種類をラインナップ。気分やシーンに合わせて香りを選ぶことができます。

大山さんによると、「いちりんか」は、趣味としてお茶を嗜んでいる方はもちろん、日本茶のプロフェッショナルを目指す方にもおすすめだと言います。
「茶葉で淹れるお茶は、誰が、どんな淹れ方をしたかによって味が変わってしまうことがありますが、『いちりんか』はお湯を注ぐだけで誰でも一定の味を作ることができます。お茶を扱う飲食店の方や日本茶のプロを目指す方であれば、お茶のバリエーションが6種類ありますから、一つずつ飲んでそれぞれの個性を分析したり、茶歌舞伎のように味覚や嗅覚だけでどのお茶かを当てるといったトレーニングにも活用できるのではないでしょうか」
日本茶がバリスタやソムリエと共存する時代へ
最近はコーヒー業界やレストラン業界など、異業種で日本茶に興味を持つ人が増えています。
こうした状況を「望んでいたことです」と喜ぶ大山さん。

「バリスタやソムリエ、バーテンダーの方々は、大前提としてサービスのプロフェッショナルです。そんな方たちが日本茶を扱ってくれたら、絶対かっこいいですし、おいしいはず。まだまだ急須や茶筅が必須だと思っている方も多いので、『道具は気にせず、あなたの持っている技術で淹れていいんですよ』と背中を押していきたいです」
日本茶の世界に根付く“制限”はどこまでなくすことができるのでしょう。
「日本茶は本質を見失わなければ、なんでもあり!ですよ」と言いきる大山さんに、前途洋々たる未来を期待せずにはいられません。

※記事中の数字・情報は2025年4月時点のものです
取材・文=市原侑依
写真=鈴木智哉
しもきた茶苑大山 店舗情報
住所/東京都世田谷区北沢3−19-20 reload1-11
電話番号/03-3466-5588
営業時間/販売 9:00-19:00 喫茶14:00-18:00
定休日/水曜日
https://shimokita-chaen.com/