海と山に囲まれた長崎・東彼杵町(ひがしそのぎちょう)で生まれる「そのぎ茶」。
本連載『長崎 そのぎ茶ものがたり』では、この地でお茶に携わる人々の声を通して、産地の今とそのぎ茶の魅力をお伝します。
目に鮮やかな若葉色、さわやかな香り、濃厚な旨みと甘みの余韻。一煎目、二煎目、三煎目と煎を重ねるごとに異なる味わいーー。
いま、お茶好きのあいだで静かに注目を集めている“そのぎ茶”をご存じですか?

長崎県東彼杵町(ひがしそのぎちょう)でつくられるブランド茶“そのぎ茶”。
主に、茶葉が勾玉(まがたま)状にカールした「蒸し製玉緑茶」(むしせい たまりょくちゃ)というお茶を生産しています。
“そのぎ茶”が全国のお茶の生産量に占める割合は、わずか1.1%未満と希少なお茶ですが、近年は全国茶品評会や日本茶AWARDでの受賞をきっかけに、名前を目にする機会が増え、気になっている方もいるかもしれません。
この小さな産地のお茶が、多くの人を惹きつけてやまないのはなぜでしょう。
うわさの長崎県東彼杵町へと足を運びました。

“そのぎ茶”の産地、長崎県東彼杵町へ
長崎空港から、海沿いの道路を北へ20分。長崎県の中央に位置する東彼杵町(ひがしそのぎちょう)に到着しました。
人口は約7,300人。波穏やかな大村湾(おおむらわん)と多良(たら)山系の山々に恵まれた、のどかで美しい町並みが広がります。
町の主な産業は農業で、中心は茶業。町内には105戸の茶農家(専業29戸)と製茶問屋(茶商)が6軒あり※1、古くから「お茶の町」として親しまれてきました。
※1 2024年/東彼杵町役場

出迎えてくれたのは、東彼杵町役場 産業振興課 農林水産係で“そのぎ茶”を担当する藤川 空(ふじかわ そら)さん。茶業を盛り上げようと活躍する、地元出身の若手職員です。
藤川さんに町をガイドしてもらいながら“そのぎ茶”の産地を訪ねました。
海の見える茶畑へ
「まずは赤木(あかぎ)という地区にある茶畑を案内します」と藤川さん。
到着したのはなんと、海の見える茶畑でした。

ー わあ、絶景ですね! 茶畑は山にあるイメージだったので、この景色はちょっと驚きです。
藤川さん「町内には合計約400ヘクタールの茶畑が点在しています。ほぼすべてが海岸線から6km以内にあって、多くの畑から海を眺めることができるのが、この産地の特徴です。目の前の大村湾は穏やかな内海で塩害の心配がなくて、お茶だけでなくお米やみかんなど、さまざまな作物が豊かに育つ土地なんですよ。また、海沿いの平地から斜面、標高400mの山中まで変化に富んだ地形があるのも、ここの特徴です。標高や地形の条件が違えば、気温や湿度、日照時間も変わります。その違いがお茶の香りや味わいの個性を生み出すんです。多様な環境がそろっているからこそ、さまざまな風味のお茶を育てることができる――それが東彼杵ならではの強みです」
東彼杵町の茶の生産量は年間約400トン。全国の茶産地の生産量と比べると少ない印象ですが、それでも県内生産量の約6割を占める、長崎県内最大の茶産地です。
長崎からはじまったお茶の物語
ーこの地域では、いつ頃からお茶の栽培が行われてきたんですか?
藤川さん「長崎とお茶の歴史は古く、平安時代末期、禅僧・栄西が中国からお茶の種子をもたらしたのが、長崎の平戸(ひらど)でした。江戸時代初期の1654年には、隠元(いんげん)禅師が中国から長崎に釜炒り茶の製法を伝え、これを機にお茶が庶民の飲み物として普及し、西九州の各地に栽培が広がりました。東彼杵でも大村藩(おおむら はん)への年貢として、江戸時代からお茶がつくられてきた記録があります」

「幕末には、長崎の女性商人・大浦 慶(おおうら けい)が東彼杵や隣町の嬉野(うれしの)からおよそ6トンもの茶葉を調達して、鎖国時代に長崎の港から海外へ輸出しているんですよ。大浦慶の商売に携わっていたという商家の建物が、いまも東彼杵町に残っています」
ー伝来からいつの時代も、長崎はお茶の物語とともにある土地なんですね。
長崎と佐賀が隣り合う茶畑
そんな歴史の物語を聞きながら、次は中尾(なかお)地区にある、山の中の茶畑へと向かいます。深い山道をぐんぐん車で進めば、変化に富む地形が実感できます。
ぱっと景色が開けたかと思うと、斜面が石垣で段々に区切られた茶畑が現れました。

藤川さん「平地の茶畑と比べ手はかかりますが、農家の皆さんが代々手間ひまかけて守っている畑です。なだらかな山で霧が多く、日照量や気温差などの条件もそろっているので、昔から茶の栽培が盛んに行われてきた地域です。実は、この地区は佐賀県との県境になっていて、山の反対側の斜面は嬉野市なんですよ」
ー 長崎の“そのぎ茶”と佐賀の“うれしの茶”は、隣り合う産地でつくられているんですね。
藤川さん「はい。昔から東彼杵町の農家さんが嬉野市に畑を持っていたり、その逆のパターンもあります。かつては東彼杵町で栽培されたお茶もすべて“うれしの茶”でした。現在も一定量は“うれしの茶”として流通しています」

ー 東彼杵町産なのに“うれしの茶”として、売られているんですか?
藤川さん「はい。嬉野市にある“西九州茶流通センター”(佐賀県と長崎県が合同で設立)を通して出荷されるお茶は、現在も定義上“うれしの茶”として販売されます。1987(昭和62)年に『そのぎ茶振興協議会』が設立されて、そこから独自のブランド、“そのぎ茶”としての歩みが始まったんですよ」
新たなブランド茶 “そのぎ茶” としての独立
ー“そのぎ茶”は他と比べて、比較的新しいブランドなんですね。
藤川さん「そうなんです。ブランド化してからは、茶農家さんが自社商品を直販するようになったり、茶市場を通って一度“うれしの茶”になった茶葉を茶商さんが買い戻し、“そのぎ茶”として販売するケースが年々増えました。栽培面積こそ広くはない東彼杵町ですが、量ではなくおいしさで勝負しようと、茶づくりの質を高める努力を続けています」
「例えば、ほぼすべての農家で茶摘み前に『かぶせ(被覆)』を行い、日光を遮ることで渋みをおさえ、旨みや甘みを引き出しています。また製茶の工程でもそれぞれのつくり手が、葉の蒸し加減や火入れの温度を細かく調整し、毎年『過去最高』のおいしさを更新しています」

「小さな町なのでほとんどが顔見知り。団結力もすごいんです。商売的にはライバルであるはずのつくり手同士が協力し合う光景は日常的ですし、県や町、農協などが一体となって、“そのぎ茶”を盛り上げているのが強みだと思います」
日本一の“そのぎ茶”への歩み
地道な歩みと強い団結力は、お茶の品評会での受賞ラッシュをもたらしました。
“そのぎ茶”ブランドの確立からほどなくして、農林水産祭や日本茶アワードなど、全国の大会で東彼杵の生産者の名前が次々と並び始めたのです。
中でも、2017年に地元長崎県で初開催された『全国お茶まつり・全国茶品評会』は、“そのぎ茶”の大きな転機に。

蒸し製玉緑茶部門で東彼杵町の茶農家・尾上和彦さんが、個人の最高賞である『農林水産大臣賞』を受賞。
さらに尾上さん含む東彼杵町の茶農家チームが団体の最高賞『産地賞』を受賞し、ダブル受賞という快挙を成し遂げました。
藤川さん「この大会での“日本一”獲得は、産地全体の大きな目標でした。開催の4年前から、つくり手と関係機関が一丸となって、町内の茶園づくりや製造研修に精力的に取り組みました。この製茶研修工場も、出品茶の品質向上をめざして2016年に新設されたものです。一般的な工場よりも小規模な機械をそろえているため、少量の手摘み茶葉でも製茶が可能です。この工場ができたことで、茶葉をより新鮮なうちに加工できるようになり、出品茶の質が一段と高まりました」

ー 町全体での取り組みと、この製茶工場の存在が日本一を支えたんですね。
藤川さん「もう一つの大きな鍵が、手摘みでした。どんなにおいしいお茶でも、外観が整っていなければ審査から外されてしまうんです。そこで、見た目がそろって雑味が出にくい、昔ながらの“茶葉の手摘み”を、約20年ぶりに復活させました。多くの町民がボランティアとして参加し、町を挙げての挑戦が、日本一獲得を支える力となりました」

この年の受賞を皮切りに、以降4回にわたって全国茶品評会で『農林水産大臣賞』と『産地賞』を受賞。日本茶アワードでも日本茶大賞(日本一相当)を獲得するなど、全国から熱い視線が注がれています。
そのぎ茶のおいしさの理由
ー 全国大会でも高く評価される“そのぎ茶”(蒸し製玉緑茶)ですが、おいしさの秘密はどのようなところにあるのでしょうか?
藤川さん「まず大事なのは、“若い芽”だけを使う贅沢な茶葉選びです。硬い葉でもお茶をつくることはできますが、あえて柔らかく若い芽を摘むことで、旨みや甘みが豊かで、苦味の少ないお茶になります。この若芽のおいしさこそが、“そのぎ茶”の味わいの基本となります。次に、蒸し時間を長めにとる『深蒸し』で仕上げます。こうすることで、若い芽の鮮やかな緑色の水色(すいしょく)や、濃厚な旨みがしっかりと引き出されるんです」

「さらに、煎茶のように茶葉の形を整える『精揉(せいじゅう)』の工程を行わないのも蒸し製玉緑茶の特徴です。自然にカールした茶葉に閉じ込められた新茶のさわやかな香りは、お湯を注ぐと、まるで弾けるかのように際立ちます」
こうしたこだわりの積み重ねが、“そのぎ茶”のおいしさをつくり、大会での高評価につながっています。
一口飲めば、その丁寧さとおいしさがすぐに感じられるはずです。
“そのぎ茶”は次のステップへ
ブランドのスタートからおよそ40年。“そのぎ茶”はさらなる高みを目指しています。
藤川さん「現在、“そのぎ茶”の認知度は長崎県内で85.5%ありますが、同じ九州でも福岡県では19.5%、首都圏では8.9%とほとんど知られていない状況です。※2 これからの5年で、首都圏や福岡へ“そのぎ茶”を届け、産地としてのブランドを全国に確立していくことを、今の“そのぎ茶”の大きな目標に掲げています。この小さな茶産地・東彼杵町から、“そのぎ茶”のおいしさを通して、全国のお茶好きの皆さんに驚きと感動を届けていきたい! ぜひ一度、日本一の蒸し製玉緑茶を味わってみてください。そして、長崎・東彼杵町にもどうぞ遊びに来てくださいね」
※2 2024年/東彼杵町役場

海を望む茶畑に吹きわたるさわやかな風は、“そのぎ茶”の持つおいしさをそのまま映し出しているようでした。
「日本一を獲るおいしさ」でありながら、「知る人ぞ知る希少なこだわりのお茶」。
“そのぎ茶”はお茶好きの心に静かに届き、忘れられない余韻を残します。
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取材・文=中村志乃芙、写真=松本靖治、編集=市原侑依








